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松岡徹のバルセロナ日記 15


2005.2/23


無事にバルセロナに帰ってきました。 マドリッドからモロッコの旅全行程12日間の旅でした。 これから番外編としてお送りしたいと思います。
 
2月9日
朝9時起床。朝食を取り11時までいつも通りドローイングをして過ごす。午後12時、身支度を整え大学へ。この日のこの頑固じじいの授業は全く理解不能。詩的で、哲学論ばかり (前回の日記にも書いたな……) 。そんなら授業を選択しなけりゃ良いのだけどアンソニー・ホプキンスそっくりのこの先生、こういう頑固で見栄っ張りな人に限って社会では偉くなる (これは偏見です、ご内密に) 。つまりこの人の授業をとらないと大学院でいろいろやりにくくなる、 らしい。とはいえ授業を理解出来ないのは言葉の分からない僕だけじゃない。みんなわからないらしいので一緒にやり過ごす。
 
午後8時半、全員ため息の中、 僕だけ急いで帰宅。僕の住むサンフィリュの街まで40〜50分。旅行の準備がだいたい整うとジャウマ (友人、作家) が晩ご飯のお弁当のサンドイッチを作ろうと材料を持ってやってくる。一緒にトルティージャ・ボカジィージョ (スペイン風サンドイッチ、卵焼き入り) を急いで作る。夜10時、アトリエを出発。サンツ駅で同行するメンバーと合流。モロッコに行く友人4人の他、旅行中の日本人2人 (アート関係者) も加わり、マドリッド行きの寝台列車に乗りこむ。
 
2月10日
朝7時半、車掌に起こされる。疲れの残るからだを無理矢理動かしてマドリッド、チャマルティン駅に降り立つ。構内のバルで朝食を取る。そこから地下鉄でホテルのあるプエルタ・デル・ソルに行く。ちょうど出勤時間と重なり日本の地下鉄と変わらない満員電車。安ホテルでチャックインをすませ、さっそく今回のマドリッドの目的である、「ARCO 2005」の会場へ。アルコの事は前回の日記にも書いたので説明はしませんが、僕が想像していた以上に大きなイベントで驚きました。
 
この日は関係者とジャーナリストのみの入場という事で比較的ゆっくり見られると聞いていたが、思った以上の人出、しかも会場が広い広い! こういうとき、適当な地中海人 (地中海地方に住む陽気な人たち) と行動すると絶対に最後まで見れないし能率が悪いので日本人チームだけで端から端へ順序よく見る事にする。こんな事で「日本人てすばらしい!」と内心思う。くたくたになりながらすべてのギャラリーを見て回る。計5時間ほどかかっただろうか。もう何が良かったか分からない。覚えていたのはフリーダ・カロの作品ぐらい。思った以上に素敵だった。その後、同じくアルコを見に来ていた他の知人と合流、おいしいキノコ料理のレストランへ。これはうまい。店の人は日本の味、椎茸、榎も知っており、榎の料理を持って来た。う〜〜んおしい!! しょうゆが欲しい。そのままどっぷり深夜までマドリッドのバルでおしゃべり好きのスペイン人につきあう。
 
2月11日
朝8時半起床。近くのバルで朝食をとり、この日は観光ガイドとして1日マドリッドを回る。マヨール広場を散歩し、そのまま徒歩でソフィア王妃芸術センターに。ここでゲルニカと再会。やはりパワー全開時のピカソを感じてうなりたくなる。いいなぁピカソ。作品作りたーい気持ちを押さえ昼飯。イカのボカジィージョ。そこから5分歩いてプラド美術館へ。僕がどうしても見たかったボッシュの「三折り祭壇画」の前でであんまりじっと見ていたらキツそうな監視員のおばさんに注意された。気分台無し。忘れるためにさらにじっと鑑賞。他の作品はテキトーに、と思っていたが結局全部しっかり見る事に。ぐったりとしてホテルに戻り一瞬休憩し、すぐマドリッドのバルへ。フラメンコのバルにいくとジャウマと踊る事に。勢いに任せ踊ってみるが乗り切れず。盆踊りにしか見えなかっただろう。そのまま深夜までマドリッドのバルをはしご。マドリッド最後の夜は東京音頭。
 

 
 
 
  アルコ会場。日本のギャラリーも2つ
  来ていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  フリーダ・カロ。始めて本物を見たよう
  な気がする。だれかタイトル教えてく
  ださい。

 
 
 
 
 
 
 
 
  プラド美術館。あるわあるわで結局足
  を棒にして美術館中を歩き回るしかな
  かったのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
  ベラスケスの「ラス・メニーナス」
  本物だ〜。

 

 
 
    

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