三河・佐久島アートプラン21
佐久島体験2001 祭りとアートに出会う島
 
平田五郎による
佐久島空家計画・制作記録
2001年9月2日(日)

平田五郎が初めて佐久島を訪れる。「庭をつくりたい」という希望に沿う、空き家になった民家を見つける。しかし庭は一面の笹藪と化していて、庭の全容がわからない後日、既に島から離れて久しい持ち主の変わりに管理する親戚の方を訪ね、借りたい意向を告げる。
 
2002年1月29日(火)

数日後に始まる制作のため、島の活性化を目指す有志「島を美しくつくる会」のメンバーとオフィス・マッチング・モウルにより、笹薮になっていた現場の草刈り。50センチほどの深さまで根がはりめぐらされた庭を半日かけてきれいに耕す。後は、平田五郎の到着を待つばかり。
 
2002年2月1日(金)

午前11時15分、一色港発の渡船で平田五郎佐久島入り。オフィス・マッチング・モウル、内藤・池田同行。午後から、「島を美しくつくる会」メンバーの案内で、材料となる石を集める候補地を何箇所か回る。初日のこの日のみ、民宿千鳥に宿泊し、夜は打ち合わせ。
 
2月2日(土)

制作現場になる西地区の大葉邸で、平田五郎はプランの再考。材料が最初のイメージと異なるため。オフィス・マッチング・モウルがその間、平田やボランティアが一ヶ月間滞在する民家(島民、高橋タマヨさんより提供)の大掃除など、アーティスト・イン・レジデンスの準備。午後から、横浜在住の荒川さんがボランティア第一号として佐久島入り。
■ボランティア/荒川昭男(横浜) 
 
2月3日(日)

ボランティアの荒川さんの協力で、平田が現場の細かい採寸等。夜は、「島を美しくつくる会」メンバーと平田、オフィス・マッチング・モウルで会議。明らかにされる平田のプランに参加者全員が驚愕。問題解決のために議論は白熱。会議の後、「島を美しくつくる会」のメンバー2名が合宿所に来訪。深夜まで話し合いは続く。
■ボランティア/荒川昭男
 
2月4日(月)

作品の材料を海岸から調達するため、朝から平田五郎とオフィス・マッチング・モウルスタッフが、関係各方面へ説明に回る。午後から、「島を美しくつくる会」のメンバーを加え、外浦で石を集めた後、現場へ石の運び込み。現場は車が入れない細い路地の中にあるため、離れた所から、一輪車にてピストンで石を運ぶ。
 
2月5日(火)〜7日(木)

まだボランティアが集まらないため、平田五郎はオフィス・マッチング・モウルスタッフとともに、作業を開始する。作業は、庭にひたすら石を敷き詰めていくというもので、慣れない人間には大変難しい。作業は、遅々としてすすまず、先行きに不安。
 
2月8日(金)

二人目のボランティアとして、愛知県芸の高木さんが来島。明るい性格と、もくもくと作業に打ち込む真摯な態度に、みんなが救われる。やや希望の光。石の敷き詰め作業はまだまだ続く。
■ボランティア 1名/高木志瑞子(愛知県立芸術大学)
 
2月9日(土)

三人目のボランティアとして、名古屋芸大の尾野くん来島。ひとり増えたからといって作業が飛躍的に進むわけではないが、人数が増えると気分的にかなり違う。一泊予定の高木さんは、この日も島泊まり。合宿所がにぎやかになる。
■ボランティア 2名/高木志瑞子、尾野訓大(名古屋芸術大学)
 
2月10日(日)

ただひたすらに石敷き作業。平田五郎は、井戸から伸びる溝を掘り始める。ボランティアは、高木・尾野の2名。疲れきった作業メンバーを、「島を美しくつくる会」のメンバーが晩御飯に招待してくださる。みんな感激する。この頃から、現場周辺の住民の人たちが時折のぞきに来てくれるようになる。「大変だね」「ご苦労さまね」と声をかけてくれる。疲れが吹き飛ぶ時。
■ボランティア 2名/高木志瑞子、尾野訓大
 
2月11日(月)

昨年、ディジュリドゥ演奏の音楽ボランティアとして太鼓祭りに参加してくれた、田中夫妻と、弁天祭りで食事班ボランティアとして参加してくれた河野さんが来島。高木・尾野のふたりを含めて、今日のボランティアは5人。毎日この人数が集まると助かるのだが。人数が多い分を、足りなくなった石集めなどに裂く。昼は、前日夜に晩御飯に呼んでくださった漁師さん宅で、ふたたび島の名物料理「煮味噌」をいただく。作業だけでなく、島民との交流ができるのは嬉しい。田中夫妻が最終便ぎりぎりまで作業してくれた。
■ボランティア 5名/高木志瑞子、尾野訓大、田中素広・田中逸子・河野(岡崎市)
 
2月12日(火)

本日もひたすら石を敷く。ボランティアは高木・河野の2名。この作業がいつ終わるのか? 先はまだまだ長い。野外での作業は寒さも厳しく、ふたたび寡黙になる一同。
■ボランティア 2名/高木志瑞子、河野
 
2月13日(水)

名古屋芸術大学の尾野くんが、同級生5名をボランティアとして連れてきてくれた。再び希望の光。一泊の予定で島に来て、結局この日まで6泊してくれた高木さんを含めて、ボランティアは全員で7名。いつ終わるか分からない石敷き作業もやや進展。合宿所のお風呂で使うお湯があまり出ないので、女子学生3名が、弁天サロンの管理人でお母さん的存在の相川さんのお宅で、お風呂を使わせてもらう。感謝。
■ボランティア 7名/高木志瑞子(愛知県立芸術大学)、尾野訓大・川崎正裕・中川裕基・田中桂・服部彩・増田寛美(名古屋芸術大学)
 
2月14日(木)

朝一番の船で愛知県芸の高木さんが帰る。何日もいっしょに過ごしたので、もう家族のようだ。少し寂しい。しかし、前日の名古屋芸大組6名に加えて、午後から作家の中川佳宣率いる大阪芸術大学短期大学部から2名と、京都精華大学の3名が合流。ボランティアは全部で12名に。平田五郎とマッチングモウルスタッフもいるために、全員が合宿所に泊まりきれない。学生には、佐久島キャンプセンターに泊まってもらうことになった。大人数の食事のため、マッチングモウル池田はまかない方に専任。
■ボランティア 12名/尾野訓大・川崎正裕・中川裕基・田中桂・服部彩・増田寛美(名古屋芸術大学)、中川佳宣(作家・滋賀)、西本紀文・車史愛(大阪芸術大学短期大学部専修科)、茂川静香・有村美希・名倉育美(京都精華大学)
 
2月15日(金)

ボランティア総勢12名の力を得て、作業は飛躍的に進む。9割方の石敷き作業終了。見事である。午後、名古屋芸術大学の学生たち5人が帰っていった。残った尾野くんと、関西チーム6人の計7人でその後も猛然と作業。照明まで持ち出して、寒風ふきすさむ中、作業は続く。午後6時半頃、平田五郎が「そろそろ終わりにしようか?」と声をかけるが、誰も応える者なし。さらに30分作業を続け、7時過ぎにようやく本日の作業を終える。この一日で、これまででは考えられなかったくらいに仕事が進み、関係者はほっと一息。
■ボランティア 12名/尾野訓大、川崎正裕、中川裕基、田中桂、服部彩、増田寛美、中川佳宣、西本紀文、車史愛、茂川静香、有村美希、名倉育美
 
2月16日(土)

関西チームは午前中も作業を手伝い、午後慌しく帰っていった。残ったボランティアは名芸の尾野くんのみ。再び無口になる平田五郎とマッチングモウルスタッフ。そこに、秋の太鼓祭りで音楽ボランティアに来てくれた近藤くん(通称コンチャン)が昼前にやってきた。足りなくなった石をコンチャンとマッチングモウルで集めにいく。夕方近く、佐久島診療所のお医者さん、高木先生が手伝いに来てくださった。ひたすら石を叩く高木先生。ありがとうございます。
■ボランティア 9名/尾野訓大、中川佳宣、西本紀文、車史愛、茂川静香、有村美希、名倉育美、近藤隆(高浜市)、高木健太郎先生(佐久島診療所)
 
2月17日(日)

尾野くんが帰って、潮が引いたように本日のボランティア0名。マッチングモウル内藤は針のムシロ状態。とにかくふたりで地味に作業。そこへ、弁天サロンの相川さんが記録撮影のためにやってくる。近所に住む藤井さんを連れて。相川さんが帰った後も、作業を続けながら藤井さんとお話。話しながら、内藤が井戸にバケツを放り込み、それを長い棒でつついて水を入れているのを見て、藤井さんが「あんた、何をしてるの? 水はねぇ、こうやって汲むの」と、すばやく手首を返すだけで、空のバケツをひっくり返して水を満杯にしてみせた。驚く平田五郎と内藤。すごいおばあちゃんの智恵袋。昔の人はこうやって水を汲んでいたのか…。藤井さんに特訓を受け、何度かの挑戦の後、平田は技術を習得。学ぶことは多いなぁ。藤井さんのおかげで、作業に笑顔戻る。夜、最終便で内藤と入れ替わりに、夏の弁天祭りでボランティア参加してくれ、現在はインドに住んでいる畑山さんが、差し入れを持って平田五郎の宿舎を訪問。その晩は、久しぶりにのんびりと酒など酌み交わした模様。
 
2月18日(月)

再び名芸の尾野くんと、新たに同級生の金原さん来島。本日のボランティアは2名。現在の作業は、深く掘られた溝の石垣を組むというもの。底には水が湧き、軍手を通して手を凍えさせる。この日から、再び寒さが厳しくなる。作業もゆっくりとしか進まない。再び焦り。
■ボランティア 2名/尾野訓大、金原歩(名古屋芸術大学)
 
2月19日(火)

午前中、雪と風の中、尾野くん、金原さんは黙々と作業。相当にきつい。しかし、残された時間は10日。休んでいる暇はない。溝の石垣積みは半分くらいまで進む。午前中に到着するはずのボランティア3人が来ない。船に乗り遅れ、午後からの3人と合流して来る模様。作業組に苛立ち。午後、平田五郎が発表しているノブギャラリーの鴨下さんが現場に来る。早速、塀を立てる予定の場所を掘る手伝いをしてくれる。同じ船で着いたはずのボランティア学生6名は、その後30分しても来ない。現場の雰囲気はピリピリ。のんびりやってきた彼らに、「私語厳禁」「休憩はどっか他で。目の前でだらけられると他の人のやる気が削がれるから」「トイレはひとりで行くこと」など、厳しく対応。前回ののんびりした雰囲気は吹き飛んで、学生たちにも緊張が走る。ボランティアで、半分遊び気分だったのだろうが、みんな美術大学の学生なのだから、作家の制作現場がどういうものか、ここで体験していってほしい。作業の後の食事時も、その後の自由時間も、せっかく作家がいるのに、学生同士のいつでもできるおしゃべりと大騒ぎで無駄に過ごしてほしくない。前回とほとんど変わらないメンバーだが、この夜は、真剣な話をして、翌日に備え、早く就寝。がんばれワカモノタチ。この作品は平田五郎の作品だけど、あなたたちの作品でもあるのだから。そして佐久島の人たちの。この日参加ボランティア9名。うち泊り5名。。
■ボランティア 9名/尾野訓大、金原歩、川崎正裕、中川裕基、田中桂、服部彩、増田寛美、後藤(名古屋芸術大学)、鴨下延弘(ノブギャラリー)
 
2月20日(水)

井戸からのびる溝をつくる作業が佳境に入る。作業開始当初、ボランティアとしてがんばってくれた愛知県芸の高木さんが友人3名を誘って再び佐久島にやってきた。ボランティアたちは、港と作業場と合宿所の往復。ほんとうは見せてあげたい佐久島のすばらしさに触れる機会はまったくない。それにも関わらず、「島が好きだ」といってくれる学生たち。合宿所も、みんなで修学旅行みたいに寄せ集まって寝ている状態だが、「楽しい」といってくれる。作業にもずいぶん慣れてきたようだ。
■ボランティア 10名/尾野訓大、川崎正裕、中川裕基、田中桂、服部彩、増田寛美、高木志瑞子、花井佐代子・岡つばさ(愛知県立芸術大学)、小西美穂子(同志社大学)
 
2月21日(木)

庭の縁あたりの石垣部分の整備作業。石がぐらつかないように、セメントを入れながら石を敷いていく作業が中心。セメントを練る作業など、学生にははじめてのことも多く、平田の指導により作業が進む。石垣積みのために足りない石をまた海岸まで拾いにいく。もうこれで何度目だろうか? 思い返すと気が遠くなる。合宿所のお風呂は、入れる人数が限られている(深夜電気温水器のため、出る湯量が多くない)ため、この日は全員佐久島キャンプセンターに泊まって、ゆっくりお風呂に入って休息した。ボランティア第一号で来てくれた荒川さん再び。いつもお腹を空かせている学生たちのため、食料の差し入れをしてくれた。感動。
■ボランティア 11名/尾野訓大、川崎正裕、中川裕基、田中桂、服部彩、増田寛美、高木志瑞子、花井佐代子、岡つばさ、小西美穂子、荒川昭男
 
2月22日(金)

溝部分がほぼ完成して、隣家との境に塀を積む作業がはじまる。塀の下部分は石垣、上部分は瓦を積むことになった。瓦は元佐久島島民が家を壊した際に置いていったもの。何十年も放置されているものだが、勝手に使うわけにはいかない。持ち主の親戚にお願いして、ゆずってもらえるように交渉し、材料の瓦を入手した。ひとつ何かをするために、たくさんの人たちの協力が必要だ。地域密着型のプロジェクトの難しさと面白さがそこにある。この日、大学生ボランティアたちは、ふたたび弁天サロンの管理人相川さん宅でお風呂を使わせていただく。感謝。
■ボランティア 5名/高木志瑞子、花井佐代子、岡つばさ、小西美穂子、荒川昭男
 
2月23日(土)

ゆずっていただくことになった材料の瓦運びと石垣積みの作業。荒川さんは昼頃島を離れた。残りは大学生4人で黙々と作業。ボランティアの学生たちは、本当によくやってくれる。塀の石垣部分完成。
■ボランティア 5名/高木志瑞子、花井佐代子、岡つばさ、小西美穂子、荒川昭男
 
2月24日(日)

石垣の瓦部分を積む作業を朝早くから開始する。どうしても用事があって、2泊3日予定で東京に戻らなければならなくなった平田五郎は、不在の間の作業の指示に余念がない。学生ボランティアとしてはもっとも長くプロジェクトに関わってきた高木さんに、指示が集中することになり、たいへん不安そうだった。船の時間ぎりぎりまで作業をして、平田五郎、島を離れる。
■ボランティア 4名/高木志瑞子、花井佐代子、岡つばさ、小西美穂子
 
2月25日(月)

平田五郎のいない一日。名古屋芸大チーム4名が再び来島。作業に合流する。この日は、いつもボランティアたちの朝昼晩御飯を一手につくっているオフィス・マッチング・モウル池田が打ち合わせのために島を離れたので、本当に学生だけで一日を過ごした。晩御飯は尾野くんと田中さんがスパゲティをつくったらしい。夜には心配した平田が電話を入れ、学生たちを励ました。
■ボランティア 7名/高木志瑞子、岡つばさ、小西美穂子、尾野訓大、川崎正裕、中川裕基、田中桂
 
2月26日(火)

昼頃、平田五郎が島に戻る。割り当てた分の作業は無事に済んでいたようだ。平田が戻ったので、残りの瓦積み作業がまた勢いづいた。合宿所のお母さん役、池田も島に戻り、作業は残すところ3日だ。ラストスパート。
■ボランティア 6名/高木志瑞子、岡つばさ、小西美穂子、川崎正裕、中川裕基、田中桂
 
2月27日(水)

完成目前にあらたなボランティア4名が加わり、本日は総勢11名の大所帯。塀の瓦積みは、平田によって、さらに複雑な作業となる。残すところ2日、本当に完成するのか?
■ボランティア 11名/高木志瑞子、岡つばさ、小西美穂子、尾野訓大、川崎正裕、中川裕基、田中桂、津島七奈・杉本小百合・北川理恵子(愛知県芸)、広谷直子(武蔵美)
 
2月28日(木)

塀の瓦積みも終わっていないというのに、朝から雨。けれど、もう時間がない。8名のボランティアは全員雨の中、ずぶぬれで一日作業を続ける。苦労のかいあって、塀は完成したものの、平田五郎はじめボランティア全員が疲労の極地で暗くなってしまった。夕方、島外へ食料の買出しに行った池田が、タイムサービスで安かったこともあり、労をねぎらうために鰻を奮発。夕食は「ミニひつまぶし」だった。デザートにはプリンも。弁天サロンの相川さんがお風呂を使わせてくれたこともあり、悪夢のような一日の最後は、なごやかに過ぎていった。
■ボランティア 8名/高木志瑞子、岡つばさ、小西美穂子、尾野訓大、津島七奈、杉本小百合、北川理恵子、広谷直子
 
3月1日(金)

仕上げ作業。庭を掃いたり、周辺を片付けたり。燃やせるものは海岸へ運んで燃やす。庭の敷石を美しく見せるため、石磨きにかかる。ぬれたスポンジや雑巾で、ひとつひとつ丁寧に石の表面を拭いていく。これがまた気が遠くなるような作業。再びやってきた名芸チームも合流し、本日ボランティアは総勢12名。明日から公開日というのに、5時まで作業をしても、まだ終わらなかった。ボランティアたちの労をねぎらうために、島を美しくつくる会のメンバーが交流会を開いてくれるというので、残りの作業を明日の朝から行うことにして、全員で弁天サロンへ向かう。
佐久島はアサリの名産地だ。もしかしたら日本一美味しいかもしれない。ボランティアたちの目の前に、これでもかこれでもかと、獲れたてのアサリの酒蒸し山盛りの大皿が並べられた。珍しいアサリの一夜干しなども出された。みんな大感激してこれでもかこれでもかと食す。高木さんなどは、「こんなに美味しいもの、せっかく出してもらって残すのは失礼ばい(福岡出身)」と、食べていた。もしかしたら、この一晩で10年分くらいのアサリを食べてしまったかもしれない。なかなかゆっくり話をする機会もなかった島の人たちともたくさん話ができた。
宿泊所のキャンプセンターのお風呂利用時間制限もあり午後7時半には交流会終了。みなお腹いっぱいで、満ち足りた気分で一日を終える。
■ボランティア 12名/高木志瑞子、岡つばさ、小西美穂子、尾野訓大、津島七奈、杉本小百合、北川理恵子、広谷直子、川崎正裕、中川裕基、田中桂、花井佐代子
 
3月2日(土)

公開日初日。しかし、仕上げ作業のため、早朝から作業。おもに石磨きと周辺の掃除など。昼食の時間も過ぎて、ようやく作業終了。美しく磨き上げられた石の庭が目の前に現れ、作家、ボランティア、スタッフ一同感動の瞬間。雨の日もこの庭は美しいだろう。夏にはじめてこの庭を平田五郎とともに訪れたあの日、草刈をしてはじめて庭の全容を目にしたあの日、海辺で半べそかきながら石を拾ったあの日、一ヶ月におよんだ制作のためのさまざまな場面が走馬灯のように脳裏を駆け巡った。たぶん、みんなが同じ思いだったと思う。この庭がこれからどのように島に根付いていくのか、それは別の問題だが、それがよいかたちで育っていくための土壌づくりが、たくさんの人の手を借りて成されたことは、みんなの心にいつまでも残るだろう。
2月1日から始まった一ヶ月に渡る作業の末、『佐久島空家計画1 大葉邸』は、のべ156名のボランティアとたくさんの佐久島島民の協力によって、ここに新しい姿でよみがえった。たくさんの人に訪れてもらいたい場所が生まれた。
■ボランティア 12名/高木志瑞子、岡つばさ、小西美穂子、尾野訓大、津島七奈、杉本小百合、北川理恵子、広谷直子、川崎正裕、中川裕基、田中桂、花井佐代子
 
 
【関連情報】
 アーティスト・イン・レジデンス ボランティア募集
 平田五郎によるアーティスト・イン・レジデンス/
 佐久島空家計画 1 『大葉邸』について

 佐久島空家計画 大葉邸 ―緑の庭― 写真レポート


最初はこんな感じだった「大葉邸」
 
 
 

島の有志たちと現場の草刈り
 
 
 

ボランティア第一号の荒川さんと宿舎に向かう
 

現場で細かい採寸をする平田五郎
 

作品の材料になる石を海岸で拾う
 

石を拾うついでに、晩御飯のお味噌汁に入れるワカメもゲット
 
 

はじまりはこんな感じ。この先、気の遠くなるような作業が―。
 
 

ボランティア大学生、高木さんと尾野くんも作業に合流
 
 

島に住むおじいちゃんを訪ねて島外から遊びに来た子供たち。ちょっぴり手伝ってくれました。
 
 

毎日、少しずつ積み重ねられていく結果
 

通称ぶーちゃん、こと高木さん。彼女の笑顔でみんなの疲れも吹き飛んだ
 
 
 
 

ボランティアが12人に増え、現場は若者パワーが溢れる
 
 
 
 

合宿所は学生たちであふれた。にぎやかな晩御飯。食欲旺盛
 

京都、大阪からやってきた学生たちが佐久島の民家再生のボランティアをする
 



島を離れる前、平田五郎からの話を聞く関西チーム(上)。力仕事を思い切り担当してくれたコンチャン(中)。診療所の高木先生(下)
 
 
 

井戸の水汲みテクニックを伝授してくれた島の藤井やすえさん
 
 

近所のおばあちゃんたちものぞきにきてくれました。ボランティアと。
 
 
 
 
 
 
 
吹雪の中、作業を続けるボランティア
 
 

ボランティアは、他人のためならず
 
 
 

作品の中核をなす溝部分の完成間近
 
 

石が足りなくなると海岸で石拾い
 
 

普段は美しい海辺の光景をながめている暇はない
 
 

現場の周囲の路地は細く、車が入らない。石もすべて人力で運ぶ
 
 

用事があっても何度も戻ってくれたボランティアたち。老人の多い島に、学生たちの笑い声が響いた
 
 
 
 

隣家との境界となる塀の制作開始
 
 

軽トラで瓦を運ぶ。石と違って割れないように慎重に
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

学生だけで作業をすすめた一日。不安と緊張の時間
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

合宿所と作業場の往復で通る道。季節はいつの間にか春めいてきた
 
 
 
 

思い出多い合宿所。泣いた笑った喧嘩した(?)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

一応完成はしたが、仕上げ作業がこれまた大変でした
 
 
 
 

門の手前から見た「大葉邸」。平田五郎はこの庭に「緑の庭」という名前を付けました。そのココロは?
 
 

庭に刻まれた一本の細い溝。地上に湧き水の気配を運ぶ
 
 

「大葉邸」全景。この庭は晴れの日と雨の日でまったく違う表情を見せるだろう
 
 
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■主催: 幡豆郡一色町
■共催: 一色町大字佐久島・島を美しくつくる会
■企画・制作: 有限会社オフィス・マッチング・モウル

黒い板塀の路地にある「大葉邸」。この場所は訪れる人を待っている
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