三河・佐久島アートプラン21
佐久島体験2001 祭りとアートに出会う島
 
八日講祭り
『猿回し/夜会』 リポート
八日講神事/猿回し
2002年1月8日(火)

午前10時〜午後12時
会場/八劔神社
 
 佐久島に猿回しがやってきた

240年の伝統を持つ八日講祭りの神事の後、「三河・佐久島アートプラン21」の事業の一環として、山口県在住の三村三岳による猿回しが披露された。佐久島で猿回しがおこなわれるのは、はじめてのこと。ほとんどの島民にとって、猿回し初体験となった。
八日講の日は、晴天ではあったものの、冬の佐久島特有の強い風が境内を吹き抜けた。にもかかわらずは250名あまりの人たちが、寒空の下に集まった。猿回しの始まりは、境内によく響く三村三岳の唄によって始まった。現れたニホンザルの一休の登場に、期待の拍手。
 
猿回しは、40分におよんで演じられた。寒さが限界と思えるほどであったが、老人たち、子どもたちの誰も帰る者はいなかった。人々の心をがっちり捉えて離さないエンターテインメントの力を見せつけられた。
おばあちゃんのひとりが、「また来年も来てねぇ」と三村三岳に声をかけていた。何よりも、そこには心からの笑顔があった。「三河・佐久島アートプラン21」は、そんな笑顔を大切にしたい。
 
 
八日講夜会
2002年1月8日(火)

午後6時〜8時
会場/佐久島弁天サロン
 
 弧絶した場所

佐久島には「何もない」とみながいう。この何もなさは「襟裳の春」の何もなさと、少し似ているかもしれない。「何もない」ということばを、文字通り受け取ってはならないだろう。しかし、「経済視野」から見た場合、佐久島にはつまるところ何もない――ということになる。
「本当はいっぱいあるのだけれど、とりあえず何もないという定説を受け入れて、で、何もないということを楽しもう」というのが、三河・佐久島アートプラン21事業の、真骨頂(?)でもあるのだが、その何もなさを極限まで推し進めたのが「八日講祭り 夜会」だ。
 
佐久島の主な産業は漁業と観光であるが、この時期に観光で佐久島を訪れる人は極端に少ない。さらに、午後6時となれば、島と本土を結ぶ唯一の公共交通機関である町営の渡船の運行も終了している。「陸の孤島」なんてことばがあるが、冬の佐久島こそ本物の孤島であり、外との交通がまったく遮断される(注意:漁師さんとかが船で自力運行するのはこのダンではない)。こういう状況は、いくら田舎であっても地続きの本土側にはありえないことだ。考えてみると、心細い状況でもある。この状況を、昔々の雪に閉ざされた北国に置き換え、囲炉裏端で語り合ったように楽しんでみようというのが夜会の趣旨である。
 
 笑いには、希望がある

夜会の会場は、弁天サロン。人々が集まる午後6時に向けて、サロンの庭には、この日の午後2時まで隣の漁具倉庫で展示された特別展『思い出の宝物』の照明作品が、場所を移して並べられた。夜会に供される食事は、昨年生み出された新名物料理「カキ茶漬け」(これが美味しい!)。夜会参加者をもてなすため、島を美しくつくる会・美食分科会メンバーによって午後から準備された。この夜、サロンに集まったのは85名。
 
「夜会」では、猿回し芸人の三村三岳が、八日講の厄男、石井さんを即席パートナーにして南京玉簾を披露。おひねりが飛ぶほどの盛り上がりを見せた。また、各自が持ち寄った品を交換する「思い出交換会」もにぎやかにおこなわれた。静かな佐久島の冬の一夜が、人々の笑顔であふれた夜会は、参加者の記憶の中に、小さなあかりを点し続けるだろう。夜会のテーマはコミュニケーションである――。
 
 
八日講祭り ⇒
八日講祭りとは? ⇒
同時期開催 松岡徹展『サクシマ劇場』 ⇒

大集合した佐久島内外の人達
 

はじめての猿回しに拍手喝采
 

三村三岳による猿回しの妙技
 

寒風の中、最後まで熱中した40分間
 
 

夜会の食事をつくる島民有志の面々
 

弁天サロンの庭に作品を設置する
 
 

100ものあかりが、夜会を彩る
 

三村三岳と島民の南京玉すだれ
 

惜しみない拍手と笑いの一夜
 
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■主催・問い合わせ先: 幡豆郡一色町
■共催: 一色町大字佐久島・島を美しくつくる会
■企画・制作: 有限会社オフィス・マッチング・モウル

いつだって大切なのは笑顔
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