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オフィス・マッチング・モウル 週刊モグラ屋通信 51


本日の担当:内藤
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 週刊 モグラ屋通信 第124号 2005.10/3  

一昨日の夜、私の住んでいる町のお祭りがありました。六供町 (“ろっく”と読みます) は、岡崎市の中心地・康生 (“こうせい”と読みます。もちろん徳川家まれた岡崎城があるのが由来) に隣接していて、歴史的には岡崎市内ではシティなのです。私はもっと郊外、つまりカントリーサイドで山猿のように育ったのですが、5年ほど前、六供町に引っ越してきました。同じ岡崎市内ですが、やはり街中は田舎とはちょっと違いました。一番違うのは、街中ほど年寄りが多く子どもがあまりいない、ということ。実家のあるカントリーサイドは、開発の余地がものすごくあるので、この10年くらいで市民病院は越してくるは、美術館はできるは、水田が埋め立てられてアパートが建つわ、スーパーマーケットが建つわと、たいへんな人口増です。
 
それに比べて、シティであるはずのこの辺りは、デパートなど一群の商業施設の周囲には昔ながらの路地が多く残り、乳母車のおばあちゃんと、なぜか猫がいっぱい。こ、これはまるで佐久島! みたいな感じです。実際、町内でも私の住んでいるエリアの人口に占める高齢者と子どもの割合は佐久島とほとんど変わりません。跡継ぎがみんな郊外 (佐久島の場合は島外) に出てしまい、残っているのは年寄りばかり、という状況も似ています。空家もけっこうあり、もよりの小学校は一学年一クラス。中心市街地のはずが、日曜の昼間でも歩いている人はまばらです。夜8時には誰も歩いていません。まるでゴーストタウンです。メインストリートに風俗店が出店して歌舞伎町化(?)も始まっています。つまり、地方都市にありがちな 空洞化 が進んでいるのです。現在、岡崎市民のほとんどが、郊外の大型ショッピングセンターで買い物をするようになりました。
 
私が子どもの頃、かれこれ30年ほど前のことですが、康生は、それはそれはにぎやかな商店街でした。特別な街だったのです。お城もあるしさ。アーティストの 松岡徹 は私と同じ中学の出身ですが、より中心市街地から離れている彼と同じエリアの同級生なんか、「康生に(買い物に)行く」ことを「岡崎に行く」とか行ってたっけ(いや別に松岡がそう言っていたかどうかは知らないが……)。つまり岡崎ってのは、long long time ago 中心市街地のことを指していたんです (遠い目) 。平安時代に設定された碁盤の目の外は京都ではない、みたいな感じでしょうか? 違うか……、いや似ているかも。
 
そんな中心市街地ですが、カントリーサイドと違うもうひとつの特徴。それは、伝統的な町衆の素晴らしい祭りが残されているところです。引っ越してきたばかりの頃、どこからともなく私の祭り好き遺伝子 (刈谷市のねぶたみたいな 万燈祭り と救急車が待機する逆ロディオみたいな高浜市の おまんと祭り というふたつの荒っぽい祭りで育まれた) に訴えかけてくるような、景気のいい掛け声が聞こえてきました。声に誘われてふらふら大通りまで出ると、なんと次から次へと立派な山車が繰り出しているではありませんか。紋付羽織袴の旦那衆が山車を先導しています。やっぱり田舎の祭りとは違うっ! 洒落とるじゃん (三河弁。意:洒落ているじゃないか) 。ということで、すっかり私を魅了したひとつが 能見神明宮の祭り です。オフィス・マッチング・モウルのコンピュータの世話をお願いしている某氏もこの神社の氏子で、先日「羽織袴を新調しないといけない」なんて、しぶいことを言ってたっけ……。残念ながら、我が家の氏神様はここではなくて、町内の八幡さんです。で、長々と書いてきましたが、一昨日はこの八幡さんのお祭りでした。
 
徳川家康の生まれた岡崎城の鬼門を守るこの 甲山八幡宮 のお祭りでは、手筒花火の奉納があります。花火は岡崎の地場産業ですが、ここでは打ち上げや仕掛けではなく、左右一本ずつ2本を“片手持ち”する手筒花火です。同じ愛知県内では、豊橋市や、小社の山口潤子が住む豊川市など東三河から遠州にかけて盛んな、命知らずの両手持ちほどの過激さはありませんが、それでも5メートルは優に越える火の粉に身を焼きながらの荒行です。手筒の合間には、「ここは中国か?」と思うほど豪快に爆竹が鳴らされます。火薬文化圏の面目躍如といったところ。また、六供町は、花火と並ぶ岡崎の地場産業である石材業が元々栄えた場所。今でも石屋さんがたくさん住んでいます。さすがロックな男たち、老いも若きも裸に晒を巻いてカッコイイです。やっぱり祭りは危険が伴わないと (あくまで個人的見解)! 知り合いのデザイナーは事務所が城下にあるため、地元の花火の手伝いをして、髪はチリチリ、眉毛が全部焼けて即席ヤンキーになってたっけ。でも、それでいいのだ。
 
高齢化が進み、祭りも後継者不足なのは人口340人の佐久島も35万中核都市・岡崎の中心市街地も同じです。「祭りで町おこしだ!」などと単純な話ではありません。実は、同じ岡崎市内にいても、引っ越して来るまで中心市街地の祭りのことを私はほとんど知りませんでした。こんなに素晴らしい伝統があるのに、市内の別の町のことなんて全然知らないって、なんだかおかしな話です。私はよく郷土愛の強い人間だと言われますが、それでもこんなものです。岡崎にも人口を越えるくらいの観光客を集める大花火大会がありますし、いろいろな都市に何十万単位で集客をする大きな祭りはあるでしょう。でも、そんな祭りばかりではありません。誰も彼もが地域の活性化をとなえる昨今、灯台下暗しって言葉が、頭の中でリフレインするのはなぜでしょう? 結局、隣の芝生は青いということなのでしょうか? そういえば、佐久島で活性化に取り組む島民のひとりが言ってました。「もう “ないものねだり” はやめだ。 (埋もれている、忘れていた) “あるもの探し” しかない!」と。含蓄のある言葉だと思います。観光客なんて全然来ない素晴らしいお祭りに行って、改めてそんなことを考えたりしました。
 
さて、ふと気がつけば秋。 木村崇人展 続・佐久島で地球と遊ぶ 『見えない力』 も、 となりのおみせ も残すところあと1ヶ月となりました。10月は学生ボランティアによる 佐久島アートガイド大作戦 もございますので、まだ未見の方は、この機会にぜひぜひ佐久島にお運びいただきますよう、お願い申し上げます。
 
 
現在進行形の仕事
三河・佐久島アートプラン21 『佐久島体験2005 祭りとアートに出会う島』 企画・制作/10月3日更新
 木村崇人展 続・佐久島で地球と遊ぶ 『見えない力』 10月30日まで開催中!

岡崎市シビックセンター 子どもワークショップ
 谷崎テトラ “みんなで「地球のうた」を つくってCDにしよう!”   企画・制作担当/11月23日開催

岡崎市シビックセンター 内田修ジャズコレクション 展示コーディネート/継続中
 

本日の担当:内藤
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 週刊 モグラ屋通信 第125号/創立6周年記念特集 1 2005.10/10  

先日、テレビを見ていたら、 HOME MADE 家族 というヒップホップのグループが出ていた。ああ、ラジオで聞いたことあるなぁ、なんて思いながらなんとなく見ていた。それから、歌詞を聞いていて (歌詞とは言わんのか? ワードとかいうのか、ラップの場合。オバサンにはよくわかりませんが) 、ちょっと面白いなと思った。ラップとかいっても、日本で流行るのは愛だの恋だの、君が好きだの、30年前のフォークソングとなんらかわらない精神構造とダジャレレベルの言葉遊びで、まったくラップにあるまじき生ぬるさだと常日頃思っていた。とりあえず、その番組で聞いた3曲には、そういう “どうせ携帯メールでチマチマ顔文字コミュニケーションをしてるんだろ? と思わせる半径5メートルくらいの小市民的恋の歌” ではなかった。平和の歌とか、車の歌、そしてびっくりしたのは 地元の歌 だ。
 
HOME SWEET HOME』 というその曲の映像に歌詞の字幕が付いていたのでそれを目で追っていたら、とつぜん私にとっては非常に馴染みのある、というか、お国言葉である三河弁が飛び込んできた。しかも、数ある三河弁の中でもかなりキツイやつが……。「三河弁でラップ?」。もちろん全編お国言葉ではなくごく一部ではあったが、びっくりした。愛知といえば名古屋と思われ、愛知県人といえば名古屋弁という不当な認識に甘んじざるをえない私たち三河の人間。ここ数年、テレビで聞いた三河弁といえば、岡崎出身のキャイーンの天野がやっていた「天野のかあちゃん」だけじゃんね (余談ですが、モグラ屋の事務所のある辺りって、ホント天野っていう苗字が多いです。佐久島のプロジェクトを手伝ってくれてる学生ボランティアの子もそうだし)。それが、ラップだよ、ヒップホップだよ、ホントにびっくりした。
 
20数年前、多分、本邦初の日本語ラップは小林克也が広島弁でやっていた『うわさのカム・トゥ・ハワイ』だったように記憶する (ホントに古いな、私も)。内容も、広島からハワイに移住した日本人移民、必死に働くも真珠湾攻撃でたいへんなことに……というもので、ラップの持つ社会的なメッセージ性を踏襲していた。20年くらいの潜伏ののち、ラップも洗練され、心地よい音楽に乗り、ヒップホップとか言われてすっかりさわやかに日本の若い世代の音楽になった。まったく今様というか当世風というか (わざと古い言い回しで言っているのは皮肉です)HOME MADE 家族 の歌詞も、いくつか聞いたところでは、そんなに強烈なメッセージ性というわけではない。でも、たぶん、それが2005年現在のスタイルなのだろう。『HOME SWEET HOME』 では、「地元が自分の帰る場所」みたいな歌詞がある。まぁ、それは普通だ。けれど地元が「やさしい」のと同時に「厳しい」場所であるとも言っている。故郷とはまったくもってそういうものだ。嘘くさい強烈なメッセージ性に説得力があるとは思えない。だからって身辺問題ばかり言われてもね、そんな昨今、けっこう彼らの歌は新鮮に思えたりした。
 
って、創立6周年記念特集らしからぬ内容になってしまった。でも、全然無関係なわけじゃない。オフィス・マッチング・モウルは地方都市にある。地域の目線を忘れたくないと思っている。地域に誇りもある。でもローカルな存在だとは思っていない。アートでローカルな発想なんて、そんなの面白くもなんともない、というかありえない。そんなこんなの今日この頃、さまざまなアイデアが湯水のように溢れてくる、と言っても過言ではない。過去6年間で、一番乗ってるかもしれないとすら思える現在のモグラ屋、7年目はどんな仕事ができるか、誰と仕事ができるか、楽しみで仕方がない。そんな私たちを、引き続きよろしくお願い申し上げます。
 
 
現在進行形の仕事
三河・佐久島アートプラン21 『佐久島体験2005 祭りとアートに出会う島』 企画・制作/10月3日更新
 木村崇人展 続・佐久島で地球と遊ぶ 『見えない力』 10月30日まで開催中!

岡崎市シビックセンター 子どもワークショップ
 谷崎テトラ “みんなで「地球のうた」を つくってCDにしよう!”   企画・制作担当/11月23日開催

岡崎市シビックセンター 内田修ジャズコレクション 展示コーディネート/継続中
 

本日の担当:池田
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 創立6周年記念特集 2  

一年はあっという間。昨年の設立記念日には「事業の拡大、売上げアップ」と「年に一度は社員で慰安旅行」を誓ったはずなのに……。今のところ、とくに目に見えた進展もなく、大いに反省しております。 さて、マッチングモウルも6年目に突入し、この頃ますます時間が早く過ぎてゆくように感じます。歳をとったせいもあるのかな? たしかに設立当初は今よりも若かったし、体力もあった。夜行バスの移動も平気だったし、長距離ドライブも抵抗なかった。片道300キロ (岡崎─東京とか) くらいなら、らくらく日帰り圏内だったしね。そういえば岡崎─群馬間を日帰りなんてこともあったな。今は自信ないです。 まあ、そんなふうに少しずつ肉体が衰えてゆくのを感じつつ、毎日やるべきことをこなし、気がつけば時間がどんどん過ぎていく。創立記念日というのは、そんな日々に初心の緊張感を思い出させてくれるものです。
 
だいたい、なぜマッチングモウルは岡崎にあるのか? 内藤が岡崎に住んでいて岡崎で働いていたということもあるし、私も岡崎を職場にしていたからであり (詳しい経緯は 設立前夜 を) 、また事務所を構える際の経費であるとか (内藤家のご実家にはほんとうにお世話になっています。内藤母上にはどんなに感謝しても足りません) 、もろもろの事情が重なって自然の流れではあるんだけど、私にとって、岡崎を仕事の拠点にすることは、かなり重要で意識していたことであります。
 
もともと愛知県出身の私は、学生時代からかれこれ10年近く東京にいて、気がつけば当時の現代美術の最先端と言われるところにいました。東京はたしかに刺激的なところです。現代美術に関わろうとするなら情報量の多い東京は便利です。だから何の疑問も持たずに東京にいたわけですが、ある時、岡崎で働かないかという話をいただきました。当時の私にとって、東京を離れることはそれなりに勇気のいることだったけど、でもそれ以上に岡崎が魅力的なまちに思えたのです。
 
愛知県出身でありながら、じつはそれまで岡崎を訪れたことがなかった私。名鉄電車に乗って岡崎にやってきた時、窓から見える矢作川と岡崎城の緑豊かな美しい風景に感激したのを覚えています。空気のきれいさやゆったりした時間の流れがなぜかとても新鮮に思え、東京の生活が当たり前だった私にとってはちょっとした驚きであり、何だかハッとさせられるような感覚でした。 その岡崎の第一印象は、今もずっと心に残っていて、私が岡崎で仕事をすることの原動力になっていると思います。東京ではなく、名古屋ではなく、岡崎でなければならない理由。たしかに仕事をするなら東京や名古屋が便利かもしれません。でも美術を仕事にするなら、地方のほうが断然おもしろいのではないかという直感。それはやはり、東京ではもう物足りなさを感じ、都会にはない地方の魅力が美術にとって何かとても重要なヒントになるかもしれないという、時代の先をゆく美術的な感覚に動かされたんだと思います。実際そんな風潮が美術の中にポツポツと現れはじめていた時期でした。
 
それぞれのまちにそのまちのアーティストがいたら素敵です。そしてまちとまちとのネットワークでアーティストや住民が行き来し、交流してゆくような、そんな社会だったらなおいい。 だからまずは岡崎で。人間慣れてくるとダラけてくるからね。岡崎はいいまちだなと思ったあの最初の気持ちをつねに意識していないと、岡崎でいい仕事はできないでしょう。今度の休みには岡崎のまちをゆっくり散策しようかな。創立記念日に思い出した初心。自分への喝です。
 
 
現在進行形の仕事
三河・佐久島アートプラン21 『佐久島体験2005 祭りとアートに出会う島』 企画・制作/10月3日更新
 木村崇人展 続・佐久島で地球と遊ぶ 『見えない力』 10月30日まで開催中!

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 谷崎テトラ “みんなで「地球のうた」を つくってCDにしよう!”   企画・制作担当/11月23日開催

岡崎市シビックセンター 内田修ジャズコレクション 展示コーディネート/継続中
 

本日の担当:山口
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 創立6周年記念特集 3  

今年の10月10日で、オフィス・マッチング・モウルは6歳になりました! 人間で6歳と言えば、オギャーッと生まれてから、食べる、歩く、話すなど目まぐるしい成長を遂げて、人間としての基礎が出来上がる時期。また、前途がまぶしく光輝く、ピカピカの小学校1年生ですよね。そしてこれから、さらに知恵と力を身につけ、人間の器をグングン大きくしていく。そんな姿は、オフィス・マッチング・モウルの姿とピッタリ重なっているようだと思うのは私だけでしょうか。
 
しかし、この日を迎えることができたのは、人間の成長過程でもオフィス・マッチング・モウルでも同じで、周りの人たちの大きな支えがあったからできたこと。一緒にお仕事をさせていただきお世話になった方や、私たちの企画に足を運んで参加してくださった方、ボランティアでお手伝いをしてくれた方、こうしてウェブサイトを見ては遠くからでも私たちの活動を気にかけてくださっている方、家族等々、ここには上げきれなかったけどもっともっと大勢いるオフィス・マッチング・モウルを支えてくださった皆様に、心から感謝します。
 
そしてこれからも、皆様に喜んでいただける仕事ができるよう全力で頑張りますので、小学生の親戚の子どもの成長を見るような温かい目で私たちを見守り、お力添えいただけると大変嬉しく思います。 今後とも何卒よろしくお願いいたします。
 
 
現在進行形の仕事
三河・佐久島アートプラン21 『佐久島体験2005 祭りとアートに出会う島』 企画・制作/10月3日更新
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 谷崎テトラ “みんなで「地球のうた」を つくってCDにしよう!”   企画・制作担当/11月23日開催

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