Office Matching Mole on the Web/週刊モグラ屋通信 1



 週刊 モグラ屋通信 創刊号 1999.10/14  


1999年10月10日。約2ヶ月の準備期間をへて、いよいよオフィス マッチング・モウルの活動は正式にスタートしました。ギャラリーネットワークのページのリストに載っている画廊の皆さまには、情報や励ましをたくさんいただき心からお礼申し上げます。叱咤激励に答えるためにも、スタッフ一同がんばります。ここをご覧の方々には、上記のコーナーをギャラリー巡りの手引きとしてご活用いただきたいと思います。あちらのコーナーは基本的に毎月10日の更新ですが、新しい情報が入り次第、じゃんじゃん追加する予定です。

さて、ここ『週刊モグラ屋通信(略してモグ通)』では、オフィス マッチング・モウルの一週間のできごとやアートに関する考えなどを、写真などをまじえてご報告する予定。毎週水曜日に更新(いきなり創刊号で木曜日に更新してしまいましたが)。今回の記事は内藤が担当します。


10月10日、私と相棒の池田は朝6時半に出張先の岡山(ただしくは香川県の直島ですが)から深夜バスで名古屋駅にたどり着きました。創立記念日の最初の食事は名古屋駅近くの吉野家の牛丼(セール期間中につき嬉しい100円引き)。私は、その日のうちにウェブサイトを立ち上げるという、誰に頼まれたわけでもないけれど、内からこみ上げる使命のようなものに突き動かされ、自宅にたどり着くと同時にやりかけのサイトの制作に没頭しました。せっかくの創立記念日、パーティーでもしよう! などと言い出したのは私ですが、料理を作っている余裕はない。というわけで、スタッフの池田と友人で駆け出しキュレーター(本人弁)原田真千子さんが、内藤宅の台所でパーティー料理の制作に励んでいるのが右の写真です。BGMは、原田さんが学生時代に喫茶店のマスターにプレゼントされたという謎のフラメンコのLP(しかし本人はレコードプレーヤーを持っておらず今回初めて聞くことに)。実は原田さんは学生時代にフラメンコを習っていたそうで「フラメンコな女は不幸になるんですよー」とのこと。フラメンコな女じゃなくて、よかったです(?)。件のLPは70年代マインド炸裂のもので「どこがフラメンコ?」という代物で、フラメンコダンサーのレコードジャケットとサイケな音楽のミスマッチに全員が腰砕け。


パーティーを庭ですることに決めたのはいいのだけれど、夏場と違って午後6時頃にはすっかり暗くなることを忘れていたうかつな私は、慌ててテーブルにロウソクを灯しました。その場の思いつきだったため、普通のロウソクが足りなくなって、仏壇のを拝借。暗い中でひとつひとつロウソクにあかりを灯していると、部屋の中から「まるで魔女だね」と声がかかる。私と池田、そしてお祝いに駆けつけてくれた原田さんと、名古屋の伽藍洞ギャラリーのアシスタント平野今日子さんの四人は、シャンパンで乾杯。静かにパーティーは始まりました。本来ならば、料理の達人として台所で腕をふるっているはずの友人で愛知芸文センター学芸員の高橋綾子さんは、その時点ではまだ機上の人でした。


キャンドルとして使用するのに、仏壇のロウソクはあまり向いてないようで、あっという間に燃え尽きてしまうのですね。明るくしようとしてあまりにたくさんロウソクに火をつけすぎたため、一時テーブルの上で小火事を起こしてしまいました。テーブルクロスに穴。スローペースで呑んでいたのだけれど、いつの間にかワイン2本とシャンパン2本が空に。午後10時半、ようやく福岡から、からし明太とからしレンコンと焼酎を土産に高橋さんが到着。宴は再び盛り上がりました。美術関係の仕事にたずさわる女ばかり5人によるパーティーは、真夜中まで続きました。私たちの事務所の名付け親氏にいただいた 『 MATCHING MOLE 』 のCDと秋の虫の音を聴きながら……。


オフィス マッチング・モウルは現在、私、内藤と池田がふたりで運営しています。専用の電話やファックス、メールアドレスなどは導入いたしましたが、事務所もまだ私の自宅の一室です。私たちはギャラリースペースを持つことは考えていませんが、アートをキーワードに人が集まることのできるスペースを持つことをハード面での次なる目標と考えています。


「名古屋でやった方が仕事に有利ではないか?」そんな意見も聞きました。そうかもしれません(電車でたった30分の距離なのですが)。さらに、私たちの目指している仕事をすでに時代に先駆けて手がけている事務所は、東京ならばいくつもあります。けれど、私たちは、ここ、愛知県岡崎市という『味噌と花火と徳川家康が名物』の地方都市から、モグラ屋らしく地道にこの仕事を続けて行くことを決めました。その代り、私たちは軽いフットワークでどこへでも出かけてゆきます。すでにアーティストの多くが、出かけた場所を仕事場に制作活動を行っているではないですか。


情報化社会だのなんだのと言っても、まだまだ地方で活動するジレンマはあります。また、だからこそわかる状況もあります。せっかく始めるのだから、前人未到の地を目指そう、私たちはそう考えました。今後の活動をどうぞ長い目で見守ってください。そして、なんだかいっしょに仕事ができそうだと考える方々は、どうぞ仕事を依頼してください。オフィス マッチング・モウルに「はじめてワークショップを依頼した病院」とか、あるいは「はじめてアーティスト・イン・レジデンスを依頼した自治体」とか、そんなチャレンジャーをお待ちしています。「オフィス マッチング・モウルにはじめてレクチャーの企画を依頼」してくださったチャレンジ精神の持ち主は、岡崎商工会議所とその会員有志で構成される『21世紀を創る会・岡崎』の皆様です。皆の者、後に続け! ……すみません、偉そうでした。


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 週刊 モグラ屋通信 第2号 1999.10/22  


どこが毎週水曜日更新! なのでしょう? オフィス マッチング・モウルの創立2週間目はスタッフ約2名のどちらもが、それぞれの締め切りに追われる一週間でした。とりあえず先に危機を脱した内藤が今週も引き続き週刊モグラ屋通信を担当します。


今週のアート関連のおでかけ。私はひとりで10月15日(金)に愛知県一宮市にある ギャラリーOH へ『松岡徹展』のオープニングへ。翌16日は午後から池田とともに愛知県美術館で開催されていた『危機の時代と絵画 1930-1945』を見に名古屋へ。展覧会最終日の前日だったせいか、地味な展覧会にもかかわらず人出は多かったように思いました。良きこと、良きこと。最近は美術館でも「スペースと予算さえあれば、ギャラリーでも企画可能な展覧会(暴言)」が多い中、美術館ならでは、といった趣の展覧会でした。印刷物でしか知らなかった作品をたくさん見られて良かったです(って素人の感想文かいっ?)。でもまぁ、池田も言っていたのですが、あの展覧会を見た後、常設展示のコーナーでフランク・ステラとか見ると「ふるさとに帰ってきたように、ついほっとしてしまう」自分を発見したりする……。


さらなるくつろぎを求めて、愛知芸術文化センター側のペギー珈琲で一服していると、中日新聞のI記者とばったり。名古屋の若手アーティストのリサーチに来ていた東京オペラシティアートギャラリーのキュレーター、Iさんを紹介していただきました。彼らが KENJI TAKI GALLERY の『トニー・クラッグ 新作展』のオープニング・パーティーにでかけるというので、私たちも右にならう。今回は多忙につき、トニー・クラッグの来日はなしとのことで残念。


その後、キュレーターのIさんもいっしょに春日井市のギャラリー、 N-MARK へ向かいました。展覧会は『松原妙子 展』。パフォーマンスは日中しか行われないとのことで、説明だけを聞いた後、オープニング・パーティー。私はここを訪れたのは初めてですが、DOT と共に、愛知県内に最近多発している20代の若手作家の自主運営スペースのひとつ。ここの特徴は女性作家の紹介が多いらしく、運営メンバーをのぞいてパーティー参加者は全員女性でした。なんだかものすごく久しぶりに「若い人」とわりとまじめに話をしましたね。たまたまそこにいた人たちの傾向なのかもしれないけど、おそろしいほどに「ある意味で純粋」。ちょっとびっくりしたというのが正直な感想。十数年前の自分を思い出そうとしてみるのですが、上手く思い出せないのでした。帰りがけに同じギャラリーで開催予定の『中日ドラゴンズ優勝記念アンデパンダン展』のミニ・チラシを渡されて、笑いました。「中日ドラゴンズの優勝を記念して10月22日(金)21時より、無審査・参加自由のアンデパンダン方式によるワンナイトエキジビジョンを開催いたします。中日ファンはもとより、最後までメークミラクルやON対決を呆れる程に信じていたジャイアンツファン、まったくペナントレースに関係のなかった他球団のファンの方々まで、多くの方のご参加をお待ちしております」だそうです。


20日(水)には、所用につき、ふたたび池田とふたりで名古屋。近所まで来たので ウエストベスギャラリーコヅカ の『松井憲作 展』へ。開廊以来、5度目の引越しを年末に控えたディレクターの小塚さんと話しこんでしまいました。話題は「名古屋のアートシーンに未来はあるのか?」「『腐っても東京』問題(あ、また暴言)」など。全然関係ないけど、どうして名古屋のギャラリーは動物をイメージ・キャラクターにしているところが多いのでしょう? ウェストベスギャラリーは「兎」、KENJI TAKI GALLERY は「象」、 ギャラリーHAM は「蛙」。ギャラリーじゃないけど、私たちのオフィス マッチング・モウルは「モグラ」だし。名古屋だけに見られる特色なのでしょうか? 謎です。


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 週刊 モグラ屋通信 第3号 1999.10/27  


池田は引き続き原稿書きに没頭しているので(推定)、また内藤がモグ通を書いています。先週の木曜日、『月刊ギャラリー』のY山さんからオフィスに電話。名古屋出張中ということで、池田と私を飲み会へお誘いいただきました。名古屋国際ホテルロビーにて現地集合。少し遅れて『月刊ギャラリー』のM月さん、最後に『ぴあ』のO合さんが到着。近所の居酒屋で、予想に反してアートのまじめなお話。いやぁ、みんな現代美術を愛しているんだね(涙)。


そこで、私は70年の大阪万博にやたらと詳しいO合さんと「万博話」で異様に盛り上がってしまいました。「万博の時は赤ちゃんだった」とか「万博の時にはまだ生まれていません」という他の同席者たちの奇異の目。後で池田に「いやぁ、熱いですねぇ」と言われてちょっと恥ずかしかったかも。でも、O合さんのおかげで、私の万博の記憶にある作品が、やはりイサムノグチのものであったことが確認できて満足いたしました。私の現代美術の原体験って万博なんだと思うけど、同世代の作家にもそういう人は多いよね、という話など。


2日続けて夜の名古屋をほっつき歩いていたせいか、私は風邪をひいてしまいました。週の後半は自宅でダウン。23日の土曜日だけ、這うようにして ノブギャラリー の大平実展、オープニング・パーティーへでかけました。原稿書く手を休めて池田も出席。今週のアートなおでかけはこの一件のみ。池田は自宅で原稿書き、私も自宅で養生しながら、1ヶ月後の地元岡崎での 北川フラム氏講演会 のためのプレスリリースの制作やら、パブリック・アート関連の書籍、雑誌を引っ張り出して予習、復習やら。


その中で、先月打ち合わせで アートフロントギャラリー にお伺いした時、資料でいただいた雑誌『造景 21号』(建築資料研究社)の中の一文に目が止まったのです。それは『越後妻有アートネックレス 整備事業 中山間地・越後妻有からの挑戦』という特集記事だったのだけど、具体的なプランの提示や開催意義などが語られた最後に、北川氏によってこんな言葉が寄せられていました。「何故美術かというと、それは美術が好きだからです。自分が好きで選んだ美術が役に立てると思っているからです」。もちろん、そこにはアートが潜在的に持つコミュニケーションの力や予感性についても語られているのだけれど、私は、このシンプルな「アートに力があることを信じる」という言葉にぐっときてしまいました。


私と池田がなぜ、オフィス マッチング・モウルを立ち上げたかというと、ホント、こういうことなんです。私たちはアートが好きで、アートを好きな人が好きで、これはもう理屈じゃないとこがあります。理屈、言う時もありますが、最近はあんまり言いたくない。突っ込まれればそれなりに反応しますが、私たちの仕事は批評ではないしね。批評精神は失ってはいけないのですが、もう理屈はいいです、って感じですか。もともと始めに理論ありきの人間じゃないし。原始人だし。モグラだし、なに言ってんだか。とにかく、原初的な「感動する」という心の動きを大切にしたいし、それを伝えていくためにこの仕事を続けていきたい。少しでも多くの人と何かを共有できると信じて。信じられなくなったらね、やめます、人間やめます。


26日(火曜日)。午後から池田が駆け出しキュレーターの原田真千子さんを伴って出社。が、今日は気分転換に外で打ち合わせしよう、ということになりました。じゃあ、天気もいいし、公園の芝生でごろごろしながら仕事しよう、と私はポットに熱いコーヒーを詰めて待機。しかし、車に乗り込むなり「私、海が見たいの」という池田のひとことで、一路蒲郡へ。秋の三河湾もなかなかよろしいです。竹島という、江ノ島みたいな島を散歩。小さな祠がたくさんあって、そこにいちいちご利益が書いてあるのを「あ、学芸の神様だって! それっ、お賽銭奮発だ」「いい原稿が書けますように」「いい展覧会の企画ができますように」などなど、わいわいと各自お祈り。「こっちは安産の神様だって」「関係ないわな、10円」とか。私だけがおみくじを引き、吉と出ました。仕事は順調だそうです。腰低くして行け、とのこと。おおせのままに。


その後、池田が行ったことがないというので、蒲郡プリンスホテルを見学に。このホテルはちょっと素敵です。池田、すっかり気に入って「私、決めました。ここで結婚式します」。はいはい、その前に相手を見つけましょう。3人でホテルの庭を散策。錦鯉に餌(落ちていたのを拾った)やりながら「この鯉ってパンダに似てる」などと品評会。なんてのどかなんでしょう。夜景の素晴らしい喫茶店でお茶を飲みながら、暮れゆく蒲郡の街が夜景へと変ってゆくのをずっと眺めていました。夕食は「八丁味噌卓袱(しっぽく)うどん」。愛知県人に不可欠な赤味噌パワーもあいまって、鋭気は養われた。来週もがんばろう。



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