Office Matching Mole on the Web/週刊モグラ屋通信 3



 週刊 モグラ屋通信 第7号 1999.12/1  


内藤です。週の前半はもろもろ打ち合わせなどに追われ、11月26日、オフィス マッチング・モウルの記念すべき初仕事となった 北川フラム氏による講演会『まちづくりとアート』 の開催日でした。レクチャーの様子は改めて特集記事のコーナーで紹介するとして、まずは、講演会は好評のうちに無事終了したことを報告させていただきます。


とくかく当日は、ばたばた。私は商工会議所の講演会会場で、北川さんから岡崎駅に到着の連絡を待っていました。連絡は携帯電話に入ることになっていて、他に電話をしなければならない事態になったものの、いつ北川さんからの連絡があるかと思うと、怖くて携帯を使えない。というわけで、5階の会場から公衆電話のある1階へ。ところが、商工会議所のエレベーターに乗ると携帯電話にいきなり「圏外」の表示が……。「ひぇ〜、今、連絡入ったらどうするんだ?」とじたばたするのは、そのエレベーターがすっごく遅かったからです。ほうほうの体で1階の公衆電話に取りつくと、今度は持ってきたテレホン・カードが公衆電話から拒絶されてしまったですよー。「きぃ〜!」とかなりながら、またのろのろのエレベーターに乗って5階の会場へ戻り、別のテレホン・カードを持って再びエレベーターへ。圏外でいらいらいら again 。


ほれ、今度はいいだろう? と入れたテレホン・カードがまたまた上手く入らないので無理矢理に押しこむ私でした。なんとか連絡を入れた後、また携帯電話を持つも、もう圏外表示のエレベーター(超低速)に乗るのがうとましく、登りましたよ階段、5階まで一気に。はあはあぜいぜいとしているところへ北川さんから連絡が入ったのですが、息が苦しくてまともに話せなかった私は馬鹿。こういうのをマーフィーの法則って言うのね。


レクチャーはとても濃い内容で、企画したオフィス マッチング・モウル総勢2名もほっと胸をなでおろし、じわじわと感激をかみしめていたのでございました。一週間ほど前に名古屋でお会いした時に「何を話すんでしたっけ?」とおっしゃっていた方とはとても思えませんでした。講演会終了後には、北川さんと講演会の主催者、関係者とともに市内のバーで二次会。それにしてもなんてノリがいいんだ? っていうかテンション高いぞみんな。北川さんまで……。


翌日は池田と私が北川さんの泊まったホテルへ朝一番にでかけ、岡崎市を一望できるカフェで朝食をごいっしょする。その後、お昼頃まで市内を案内し、打ち合わせのためにあわただしく東京へ戻る北川さんを駅に送りました。駅の改札口へ向かって去ってゆく後姿が視野から消えると、池田と私は一瞬放心状態になりましたが、いつまでも放心している場合ではない。次は、アーティストの北山善夫氏のアーティスト・トークを聞くために、一路豊田市美術館へ Go !


豊田市美術館での北山善夫氏のアーティスト・トークは半分終わっていましたが、なんとか残りの1時間を聞くことができ、その後、豊田市美術館 企画室9 で開催中(12月6日まで)のテーマ展示『図 絵画 北山善夫』を鑑賞いたしました。北山さんが平面作品(絵画)を制作しているのはそれまで知らなかったので、とても面白かったですね。池田とはそこで解散して、私だけが北山善夫さんのアーティスト・トークの打ち上げ宴会に部外者ながら宴会要員として参加。豊田の奥座敷笹戸温泉郷のあまりにもしぶい望水楼(玄関に鹿の剥製あり。館内は増築につぐ増築で迷路状態という田舎の正統派温泉旅館)ですっかりくつろぎモード。お湯も良かったし。参加者は浴衣に半纏という温泉スタイルで、炸裂する北山さんのオヤジギャグに不意を突かれまくりながら、のどかな笹戸温泉の夜はふけてゆきました。


他の参加者は元桜画廊のアシスタントで現在はフリーランスでアート・プランニングの仕事をしている Office RICA の戸田理佳子さんと、同業でやはりフリーの江坂恵里子さん(差入れの巨峰二房を洗面所で洗っていたらどんどん流れて、旅館の洗面所を詰まらせた女。残った巨峰は15粒くらい←みなの非難轟々)、豊田市美術館の学芸員A氏(ずーっと釣り談義)とYさん、北山さんのアシスタントでもあるアーティストのよご君、愛知芸術文化センターの学芸員の高橋綾子さん(私と同じく部外者の宴会要員)。翌日は豊田市美術館へ戻り、開催中の 『村上華岳展』 と常設展示をゆっくり鑑賞した後、帰宅して平均睡眠時3時間が続いた3日間の埋め合わせをするごとくにひたすらに眠りました。


11月30日は池田とふたりで商工会議所へ。その後、12月のスケジュール確認をするために喫茶店へ向かったのですが、池田の後を走っていた私の車(イタリア人も顔負けのぼこぼこ車)が交差点で歩行者に気を取られてあろうことか池田の車に激突。嗚呼。池田の車じゃなくて正確には池田のお父上の車なのですよね。ああ、お父さまごめんなさいっ。しかし、オフィス マッチング・モウルの出張ですでに傷だらけになっていた車に新たに付けられた傷を見て、池田は「もう、仕事でがんばってジャガー(お父上が一番好きな車)を買ってあげるしかないね。協力してくださいね !」「はい、がんばります。ジャガー買いましょう」でことは済んでしまいました。「ところでジャガー(新車)っていくらするのかな?」という池田に「たぶん500万円から一千万円の間のどこか……」と答えた私です。


よれよれになって自宅に戻るとフリーランスのキュレーターの原田真千子さんから興味深いファックスが入っていて、来週は以前から予定していた東京出張に加えて金沢にも行くことになりました。冬の金沢はやっぱり蟹かしら? などと贅沢をいっている場合ではない。支出ばかりで収入が追いつかないではないか。こりゃまたしてもハイウェイバス往復の予感。ジャガーはいつ、買えるのかしら?



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 週刊 モグラ屋通信 第8号 1999.12/9  


内藤です。モグラ屋、今週のアートなおでかけ。まずは12月1日。池田とともに名古屋の 白土舎 にて 奈良美智展 の初日会場へ。3日からの名古屋パルコで同時開催される個展のために大忙しの奈良さんにも、なんとかお会できてご挨拶。「ウェブページも時々のぞいてますよ」と言われて嬉しがる私です。わ〜い。出版されたばかりの絵本 『ともだちがほしかったこいぬ』 (絵と文 奈良美智/マガジンハウス刊) を2冊購入。1冊をさっそく4歳の姪にプレゼントしました。


3日は名古屋の東海銀行主税町クラブにて開催された 『英国ノーザンプリントスタジオと名古屋プリントワークス版画交流展』 の講演会とパーティーへ。池田とは現地集合。会場もよりの地下鉄駅に降りたのはよいのですが、そのあたりの地理に不案内な私は、地図とにらめっこしながら目的地へ。でも、途中で不安になって信号待ちをしていた男性に尋ねてみました。するとその方も同じ場所へ行かれるというので、思わず「美術関係の方ですか? 作家の方ですか?」などと質問してしまいました。なんと美術雑誌 季刊『版画芸術』の編集長、松山さん でした。歩きながら名刺を渡して自己紹介。またしても「ノブギャラリーのウェブページ読んでますよ」と言われて恐縮する私でした。


英国ノーザンプリントスタジオというのは、イギリス国内に6ヶ所ある政府に資金援助されたノンプロフィットの版画工房です。このスタジオは多種の版画の制作のための設備を持ち、また専任のスタッフとしてプリンターが在中していて、版画教室や短期講習、また地域の子ども達を対象にした学校教育プログラムなどを積極的に行い、広く市民に開放されています。また、徐々にですがアーティスト・イン・レジデンスの活動も始めていて、イギリス北部の海辺にある工房ではたくさんの作品が生み出されています。国による運営の援助によって、アーティストだけでなく市民にもアートの場を提供するこのシステムはとてもユニークなものです。


日本ではこれまで美術の教育普及に関しては、学校と民間の各種の美術教室がその役割のほとんどを担ってきました。そこでは、おもに美術の技術的な側面に重きがおかれていたわけですが、最近では教育普及活動に積極的な美術館の活動も注目されます。けれど、日本中のあらゆる地域に美術館があるわけではなく、またすべての美術館が教育普及活動を行っているわけではない現状を考えると、ノーザンプリントスタジオのようなノンプロフィットのアート・スタジオの存在は日本の美術教育にもいろいろとヒントを与えてくれるのではないでしょうか? 彼らの活動について、ディレクターのアナ・ウィルキンソンさんの話を聞きながら、 いいことを思いついてしまった 私ですがそれは企業秘密です。来年のモグラ屋の活動に注意を払っていてください。


レクチャーの後の懇親会もたいへん美味し……もとい、楽しく、いろいろな方とお知り合いになる機会に恵まれました。名古屋のブリティッシュ・カウンシルの担当官の方と名刺交換をしたのですが、その方が学生時代に名古屋の大学に留学していた(どうりで日本語が上手い)時の保証人がオフィス マッチング・モウルのある愛知県岡崎市の方だそうで、いきなり「○○町の○○医院って知ってますか? そこのドクターが僕の保証人だったんですよ」と言われたのには笑いました。あまりにローカルだったのと、実は私は画廊に勤める前に、とある事情でその医院の大邸宅な自宅の門扉の取り付け下見に行ったことがあったんですね。何をやっていたんでしょうねぇ、私は。その後、懇親会を途中でぬけて、池田、版画芸術の松山さん、中日新聞のI記者とともにギャラリー APAの井田照一新作展 、オープニングパーティーへでかけました。


翌4日、早朝7時半。私は、8時半に名古屋発金沢行きの高速バスのチケットを買うために、ひとり名古屋駅近くの名鉄バスセンターへ向かいました。チケット売り場で電工掲示板の目当てのバスの表示の前に無情の 満席 の文字が! けれど、すがりつくように「ひとり分の席、空いてませんか? どこでもいいんですっ!」と哀願すると「あ、ひとりならあるよ」。やったー! あんまり喜ぶ私を見て、チケット売り場のおじさんも「よかったねぇ」と喜びを分かち合ってくれました。


無事チケットをゲットして、安心して近くの喫茶店で朝食を取り、発車15分前にバスセンターへ行くと中日新聞のI記者が来ていました。「んもぅ、私もう少しで乗りそこなうところだったんですよ」と自分の幸運を無理やり発表したりして。でも彼は「実は僕の分のチケットを持っているEさん(愛知芸術文化センター学芸員)がまだこない」。うっすらといやな予感を抱きつつ「まだ5分あるな」とみずからを励ますI記者。まわりときょろきょろ見まわすと、待っていたEさんがのんびりと自販機で飲み物を購入していたので一安心。しかし、不運な彼らはあろうことか座席の予約がダブルブッキングしていて、いったんはバスから降ろされてしまいました。なんてこったい! 結局は同じバスに乗ることができたのでよかったです。


今回の金沢行きの目的は、現在 金沢美術工芸大学 で行われているイギリスのアーティスト、 アーニャ・ガラッツィオ のアーティスト・イン・レジデンスの一環として開催されるスライド・レクチャーを聞きに行くことでした。アーニャ・ガラッツィオの作品は、東京オペラシティ・アートギャラリーで開催されていた展覧会ではじめて見る機会を得ましたが、それ以来、私にとっては気になる作家になっていました。オフィス マッチング・モウルに出入りのフリーランスのキュレーター原田真千子さんが偶然今回のレジデンスの通訳兼アシスタントを勤めていて、このレクチャーの情報は彼女からのファックスで知ったのです。それを見たとたんに速攻で金沢行きを決めたのでした。


アーニャ・ガラッツィオは私と同じ1963年生まれ。同世代ということも、作家への興味を深めます。レクチャーには満足しました。金沢美術工芸大学は、昨年以来海外のアーティストを迎えて、レクチャーやワークショップを行っているそうです。来年はアニッシュ・カプーアだそうで、ちょっとびっくり。


金沢では原田さんお勧めの店で、I記者とEさんと三人で日本海の美味しいお魚(蟹も!)をお腹いっぱい食べました。アーニャのレクチャーと、犀川と金沢の町を眺めながらの美味しい食事。満足度100%の金沢行きでした。尚、アーティストインレジデンスでは、アーニャ・ガラッツィオによる作品の制作も同時に行われていて、最終的に完成した作品を見るため、20日頃にもう一度、今度は池田といっしょに金沢を訪れる予定です。


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 週刊 モグラ屋通信 第9号 1999.12/15  


内藤です。今週のアートなおでかけ東京編。今回、モグラ屋二人組ででかけたのは9日の 代官山インスタレーション '99 。そんなに作品数はなかったけれど(7点)、ぶらぶら歩きながら作品と出会うというのはけっこう楽しいものです。私のお気に入りは『地下鉄ヒルサイドテラス駅』でした。考えてみると私は代官山という場所をまともに歩くのは初めてで、なんかすごく小洒落た街なんですねぇ、いまさらですが。そういえば、私が学生時代に住んでいた京都の北山通り界隈も「 京都の原宿 (青山、だったかもしらん。どっちにしろ赤面なネーミングだと思いますが)」だのなんだの、と言われておりましたが、考えてみればあの原宿には「畑」があったものなぁ……。日本各地にある「小京都」というのと同じで、でもやっぱり本物は違うよね。代官山はそんな感じ。そういえば、オフィス マッチング・モウルのある愛知県岡崎市にも「 岡崎のビバリーヒルズ 」っていうエリアがあるのですが……ぷっ。


その後、ふたりで Masataka Hayakawa Gallery オオタファインアーツ へ。日も暮れる頃、恵比寿の P-HOUSE で一服。犬(黒い方)の襲撃を受ける。 『版画芸術』編集の安田さん と合流して、終電まで濃い美術話は尽きなかったのでございました。


10日は午前中、池田とミーティングしてからいったん別行動。私は 原美術館 『ソフィ・カル ― 限局性激痛 ―』展 。テキストをゆっくり読んでいたらけっこう時間がかかりました。個人的にはわりと好きですが、どこがどう好きかと詳しい説明をするとネタバレ(?)になるってしまう、というような展覧会です。先入観なく行った方がいいですね。万人に勧めたい展覧会ではないけれど、女性には勧めたい、かな? あとで池田が「あの展覧会をカップルで見に行くと口論になるというウワサです」と言っていたのには笑いました。それもわかるような気がする……。原美術館に行ったのは久しぶり。テラスでコーヒーを飲みました。いいお天気。


午後からはふたたび池田とともに、 オーストラリア大使館 で開催中の 『BRIGHT AND SHINING オーストラリアの輝き』展 (2000年1月27日まで)と、シンポジウム 『ギャラリー4Aとオーストラリアのアートシーン オルターナティブ・アートスペース/トランスカルチュラル・コラボレーションへ。9月にイギリス大使館へ行く機会があって、あちらはドレスでも着て行きたくなるような(持ってないけど)雰囲気でしたが、オーストラリア大使館の建物はとても現代的な感じ。ファサードの上の方のカンガルーの目印がお茶目でした。イギリス大使館はエリザベスの間(エリザベス女王の肖像画がかかっているレセプションルーム)でも喫煙可でしたが、オーストラリア大使館は全館禁煙。これもヨーロッパと新大陸の差なのでしょうか? アメリカ大使館が全館禁煙だというのに4000カノッサ……。レクチャーの途中でアフタヌーンティーがあったのは、よい感じ。


先週イギリスの非営利の版画工房関連のレクチャーを聞きましたが、今回もオーストラリア政府の支援によって運営されているギャラリーについて詳しく紹介されていました。展覧会ではオーストラリア在住のアジア系アーティストの作品を展示。オーストラリアの現代美術に関してはほとんど知りませんでしたが、あちらの状況が少しわかって興味深かったです。その後のオープニング・パーティーではたくさんの方とお会いして、楽しい時間を過ごすことができました。


日本でも数少ない、というか、ほかにあるのかどうか知らないノンプロフィットのアートスペース CAS 笹岡敬さん (ご自身もアーティストでありながら、CASのディレクターでもある)、そのCASの展覧会の企画もしているインディペンデント・キュレーターの 黒岩朋子さん NPO アート・デリバリー実行委員会の並河恵美子さん (元ルナミ画廊ディレクター)。私が画廊に勤めていた頃に一度だけお会いしたアート・コーディネーターの 帆足亜紀さん とはほぼ2年振りに偶然再会でびっくり。 アートクエストの門田けい子さん やスタッフの方にもお会いすることができました。画廊や美術館などとは別の場所でアートに関わるたくさんの方々とお話しするのは、本当に刺激になります。なんだかとっても嬉しい気分のオーストラリア大使館の夜でございました。しかし、それにしても女性ばっかりですね。よしっ、我々もがんばらねば。


翌11日に フジテレビギャラリーで『宮島達男展』 。他に人がいなかったので、黒いコートを広げて体中に数字をカウントさせたりしたあと、帰途についた私です。新幹線(まぁ、贅沢!)の車窓からみごとな富士山の様子を見ました。すばらしい。ああ、日本人だ、私は……。来週は池田とふたてにわかれて、今年最後の遠出を観光、ではなく敢行の予定です。


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 週刊 モグラ屋通信 第10号 1999.12/24  


内藤です。18日、夕方からひとりで名古屋へ。 名古屋市美術館 のクリスマスショー 村上友晴 展 『十字架の道』 (〜12月26日) を見ました。真っ黒い画面(1点のみ赤)の連作の前で「想像力を喚起せよ」と自らに呼びかけてみたり……。その後、ナディアパークのLoftへシステム手帳を探しに行きました。しかし、ナディアパーク、すごい人。もう、名古屋中の若者が集まってるんじゃないか? というほどの人ごみ。手帳のコーナーもにぎわっていて、種類もそこそこ揃っているものの、こういうのをじっくり選ぶのがものすごく面倒な私はほとんど3分で購入を決定。8年くらい使ってきた前のシステム手帳がもうボロボロな上に少し小さかったので、今回は思いきって大きめ(A5)にしてみました。さあ、来年はこの手帳に仕事のスケジュールをばりばり書きこむぞ! と意気込んだりして。鉄道、地下鉄の路線図もばっちり載っているので便利。さあ、来年はこれを利用して西へ東へ飛んで行ってばりばり仕事を(以下延々と心の叫びは続く)。


とかなんとかやっているうちに午後5時が近づいてきて、あわてて買い物を済ませて電飾がきらびやかな大津通りを、木枯らしに吹かれながら ギャラリーHAM へ向かいました。この日は 平川典俊 展 『潮騒』 (〜2000年2月12日)のオープニング。写真とかビデオとか、そういうメディアはこれまであまり熱心に見てこなかった私は、思うところあって同世代の作家を集中的に見たいと思っていたので、この展覧会はその意味でもとても興味深いものがありました(作家は1960年生まれ)。幸運なことに平川さんご本人ともお会いして、作品にまつわる背景なども伺うことができました。作品が作家の個性 ―クールでアイロニーを感じさせ、かつユーモアがある― と、とても似ていると感じる。平川さんは現在ニューヨーク在住。ウェブサイト BOBO MENCHO,Inc. で、何人かのアーティストの作品を紹介する活動も続けています。年明けには東京で個展があり、 東京都現代美術館 のグループ展 『MOT アニュアル 2000:低温火傷』 (1月18日〜3月26日)にも参加されるそうです。


20日は池田と二手に分かれてアートなおでかけ。池田は千葉市美術館の ジョゼフ・コスース展 のオープニングへ。私は金沢美術工芸大学のアーティスト・イン・レジデンスの アーニャ・ガラッツィオ の作品を見るために金沢へ。アーニャの野外作品は前日に完成してこの20日午後から正式公開の予定になっていたのです。晴天の名古屋を朝8時30分発金沢行きのハイウェイバスにうきうきと乗り込んだ私は、早起きの反動で車中にて居眠り。ふと気がつくと、バスは福井県に突入したあたりで山にはうっすらと雪が積もっているのでした。その時携帯電話が鳴り、金沢でアーニャのアシスタントをしている原田嬢より「金沢、すごい雪です。美和さんの見たい作品は雪の下です。本当にこちらに来るんですか?」との不幸な知らせが……。本当に来るのかと言われても、もう途中まで来てしまったですよ。というわけで、なにがなんだかわからないまま、バスはまさに初雪なのに豪雪状態の金沢に30分遅れで到着したのでした。そこはまさに雪国。アナザーカントリー、というよりもアナザーワールドだよ、こりゃ。


大学に向かうためにタクシーをつかまえようとするも、突然の大雪でみながタクシーに集中。ざんざん降ってくる雪の中、虚しく15分ほどタクシーを待つ。やっとつかまったタクシーには後光がさして見えましたとさ。繁華街を離れるほどに道路の雪も増えてきて、その上、突然の大雪にも除雪はまったくなされておらず、大学に着く頃にはタクシーは雪に埋もれるように走っていたのでした。とにかく室内にも展示があるということで展示会場へと向かい、ちょっとだけある作品を見ました。これが今日の収穫のすべてとは……。原田さんにアーニャを紹介してもらったんだけど、リアクションのしようがないわな。というか気力も。アーニャもはるばる名古屋から来た間抜けな私に「ウープ」とつぶやきながら、哀れみの視線をなげかけてくれたのでした。


結局恐ろしいほどにどんどん降ってくる雪に、金沢脱出も危ぶまれてきた私は、着いて3時間もしないうちにとっとと名古屋へ戻ることにしました。3時40分の高速バス名古屋行きを予約して、親切な陶芸家の若者にバス停付近まで大渋滞の中送っていただいたことには心からの感謝を! ところがバスはきっかり1時間遅れて、私はアーケードで屋根はあるものの吹雪のように容赦なく吹きつけてくる雪の中、気が遠くなりながら1時間バス停で立って待っていました。冬の金沢、忘れられない思い出ができました……。後日、池田から「私、コスースと名刺交換しましたぁ。作品は良かったです。コスースも、素敵でした!」と嬉しそうな報告を受けて、羨ましさに歯噛みする。ああ、よかったね、作品が見られてさ。


22日。1999年最後のアートなおでかけは池田とふたりで。名古屋のDOTで開催された 篠田太郎展 。DOTへの道に迷い、会場で待機していた レントゲンクンストラウム のディレクター池内さん(池田の元ボス)に救出にきてもらいました。ありがとう。若者でにぎわう会場には、名古屋の画廊関係者の顔もちらほら。 ギャラリーHAM の神野さん、 ウエストベスギャラリーコヅカ アシスタントの智恵ちゃん。それから コオジオグラギャラリー のディレクターの小椋さんなど。そういえば小椋さんに「内藤さん、僕ねぇ、NICAF であなたにそっくりな人を見た」と言われました。私は今年、東京国際フォーラムで開催されたの NICAF の会場で小椋さんとばったりお会いしたのですが、その後、背格好、年齢も近いと思われる私のそっくりさんを見た、とおっしゃるのです。「服が違ったので別人だとわかった」って、本当ですかぁ? ところが、最近東京の美術関係の方にも、初対面で「あなたにとても似た人が知り合いにいる」と言われたこともあり、どうやら東京には、それも同じ美術業界周辺に私のドッペルゲンガー、ではなく、まだ見ぬ双子の片割れでもないけどそっくりさんがいるらしいです。ひゃあ、どこのどちらさまでしょうか? いつかはお会いできるのかしら? 篠田太郎の双子のパフォーマンス用の装置とビデオも展示してある会場で、そんな話を聞かされたのもなんだか不思議な感じに拍車をかけました。オープニングのパフォーマンスで流された 竹内忍 くんのビデオはナイスでした。


そんなこんなでばたばたとした一週間を終え、2日遅れの週刊モグラ屋通信も、今回が本年の最後の更新となります。世間ではクリスマス・イブなどと浮かれているようですが、その手のイベントもないオフィス マッチング・モウルの硬派なふたりは、聖しこの夕方にミーティングを予定しているのはなんだかなぁ。でも、明日からは一応モグラの冬休みに入りますので、この場を借りてご挨拶をさせていただきます。2ヶ月少し前にスタートしたオフィス マッチング・モウルにはたくさんの方々から暖かい叱咤激励をいただきました。心から感謝いたします。来年からが本格活動の開始と考えております。どうぞ、2000年からもオフィス マッチング・モウルをよろしくお願い申し上げます。アートを愛する人達とのあたらしい出会いを楽しみにしつつ。では、みなさま、よいお年を!


     
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